冬が嫌いです。
でも、僕の周りの人間はみんな冬が好きなので困ります。
彼らは、早朝の糸の切れるような寒さの中で、空に向かって息を吐いて満足げに白さを確かめたりします。
僕はだいたいポケットに手を突っ込んで、コートのえりを立てて、マフラーに顔をうずめながら不機嫌そうな顔でそれを見ています。
とにかく暖まりたいと僕は思っています。なんでもいい。どんな卑怯な手を使ってでも僕は暖まってしまいたい。「寒い」なんてまったく意味のない感覚だし、寒ささえなければ世界が平和になるのではないか、とすら思ってもみる。
僕はこう見えてわりと背が高いので、脚を伸ばしてねむると布団から足がはみ出てしまいます。なので、出来るだけ小さい形で眠ります。膝を胸にくっつけるほど折りたたんで一刻も早く温もりと眠りがやってくることを一心不乱に祈りつづけます。どうかこの惨めな生き物に、ひとときの安らぎを与えてくれますように。
背が高いなんてつくづくつまらないことだ。だって寒い。
目が覚めると、寒い。ベッドの中のあるエリアは暖まっているけど、はみ出した個所が寒い。まつげの先が冷え切っていて、まばたきをすると小さな寒さがこぼれて瞳の下に降りかかる。
僕はさらに小さくなって、この時間が過ぎていくのを待つ。寒い。我慢なんて出来やしない。っていうか我慢ってなんだ。この理不尽な痛みになぜ耐えなくてはならないのだろう。
とにかくベッドにいてもなにも状況が好転しないことを嫌というほど確認した後、渾身の力をこめて僕はベッドを降りる。そして、すばやく暖房のスイッチを入れて、その前から動かなくなる。ピュ—ピュ—出てくる温かい風にあたりつづけていると、酸素が足りなくなってくらくらする。しかも局地的に温かくなるので、背中は寒いのに、弁慶の泣き所だけ熱くて仕方がない、というような状況が起きる。僕はじりじりと身体を移動させながら、暖めるべき場所を暖め、冷やすべき場所を冷ます。
そうこうしているうちに、部屋自体が人間の活動できる温度になってくる。僕は細胞の一つ一つに語りかけなくてはならない。
「えー、そろそろ、温かくなってまいりました。少しづつリラックスしていきましょう。ここは人間の生きることのできる空間です。われわれは、酸素のない宇宙に放り出されたわけではないし、血も凍るような寒さの中にいるわけでもない。身体をうごかして、生活して、幾ばくかの哀しみをやりすごしつつ、時間の流れに沿って生きていかなくてはならないのです」
つまり、ちょっと寒いくらいでは死ねない訳です。
そう思うと、なんとなくちょっと活動する意欲みたいな物がわいてくる。自分という人間のまともさにいくらかのチップをベットしたくなる。もちろん、この28年間負けつづけてきたギャンブルではあるのだけど。
電話がかかってくる。
「もしもし」と僕はいう。
相手はなにも答えない。
僕もなにもいわないことに決める。
沈黙が流れていく。僕は受話器を持つ手を緩め、何かを待つ。
向こう側から、しっとりとしたそれでいて確実な気配を感じている。息遣いは規則正しく、まばたきの音が繊細に響く。
僕は受話器を耳に当てたまま、ソファーに腰掛ける。しばらく時間がたつのを見守った後、コーヒーを入れる。いつもよりこころもち濃いコーヒーを入れる。
3/4くらい飲み終わった所で、僕は不意に気づく。僕らは春を待っているのだと。
穏やかに。執拗に。偏執的に。愛しく誰かを思うように。
さて眠ろうかと思ったときにやってきた、招かれざる客の帰りを願う様に。
春は知っているだろうか。
ある寒くて暗い部屋で取り交わされた、会話のことを。
それは、若いころの約束にも似て、不確かで、わがままで、なにより希望みたいだった。
雨を願う様に、春を願う。
いつも疑っている。うまく信じることができない。
春が来ることを。
くる?
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