さて、世の中はクリスマスですが、僕はほとんど家を出ず、本を読んで映画を見ていました。
鈴木光司と庄子薫をかわるがわる読んでいたのですが、途中からは鈴木光司のエンターテイメントパワーに圧倒されて、リング、らせん、ループという有名な三部作を一気に読みました。
こういう、全体を通して作品を管理できる能力のある人はすごいですね。適切な歩幅で走りつづける長距離ランナーって先天的な能力だと僕は個人的に思います。
ときどきどんな人でもすごい言葉を放ったりすることがありますが、継続して放つことは経験的にいってまあありません。
そこから先は、人類未踏の謎の国です。今どこかで交尾の最中に首を噛み切られた牡カマキリの気持ちになれるかどうかの話です。
で、本題ですが、そのあと、気になったので「リング」の劇場版を見ました。
なんですか、あれ。
あんなにひどい作品を(作品とよぶのも憚られる)世に出すという気持ちが僕にはさっぱりわかりません。
映像に関しては素人だし、演技に関しても素人ですが(とはいえ素人目にもひどかったですが)あるひとつの作品を、別のなにかにするときに必要な敬意や、慎重さ、クリエイティブな物に対する信頼、というものが全く感じられないほんとうにひどい作品でした。唾棄すべき映画です。あの作品が日本と言う法治国家で作られたことを恥じましょう。
メッセージがメッセージとして伝わらないのなら、そんな作品を世の中に出すのはやめてください。原作者がどの程度あの映画にタッチできたのかはしりませんが、あの作品が自分の原作として世に出ることを拒まなかったことが疑問です。
「作品」と言うものの力を僕は信じています。それがそのまま「商品」になるはずだと思っています。
その過程で、いろいろいう人がいるわけです。「この言葉はすこしきつすぎるから、もっとやわらかい言葉にしよう」「もっと売れている役者に演じさせよう」「このシーンは残虐過ぎるからカットしよう」「このロジックは一般の人にはわからないんじゃないかな」
世の中の人達がわからないとおもうなら、世に出さなければいいと思います。
わかりやすくしようと思っている人達の感性があまりにも貧弱で、心から気の毒に思います。つまり、そんな人間が訳知り顔で「表現者側」にいるこの国の人達を気の毒に思います。なんて俺達はかわいそうなんだ。
僕にはあの原作と映画の間にいる人が、「世の中にいる人達はみんな馬鹿なんだから、もっとつまらなくした方があいつら喜ぶんじゃない」というマーケティングをしたとした思えません。こんなにだれかに馬鹿にされたのは久しぶりです。
絶対に、これは痛切な祈りを込めていいますが、全員が自分の意見をきちんと言える人間にならないとだめです。これが好きで、これが嫌いときちんといってください。
なんとなく多数の人達が良いといっているかのような幻想の作品にばかり目が行くとこの国に文化は根ざしません。
さて、やや熱くなってしまいましたが、万が一この作品の映画バージョンをみて「すばらしい作品だ」と思った人がいたらたいへんもうしわけありませんでした。これは僕の個人的な意見です。
まあ、状況が良くわからない人は鈴木光司「リング」を読んだ後、映画「リング」を見てみてください。
感想、同意、反論などがあり、また割と暇な人は掲示板かメールなどで連絡下さい。
では。
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