最近、朝起きてすぐにご飯は食べられません。
しばらくぼんやりとなにもできず、ストーブの前に座っています。
で、しばらくすると、酸素が足りなくなってくらくらしてくるので、しぶしぶ立ちあがって、靴下をはいたり、服を選んだりします。僕は普段自分の格好にはけっこう無頓着なので、だいたい昨日と同じ服を着ます。週に5日は同じジャケットを着ます。ズボンは一つの季節に一本。つまり年にだいたい四本くらい買います。
で、やっとコーヒーでも飲みたいなあ、なんて思うのですが、昨日のお酒がやや残り気味のときは飲まないことにしています。胃の調子がいまいちであります。
というわけで、最近はほとんどコーヒーも飲みません。だいたい毎日口の中で麦芽の香りがします。
朝から鏡を見てもこれといって学ぶこともないので、自分の姿をチェックもせずにそのまま家を出ます。そのうちにだんだん目が覚めてきて、ネガティブなことを山ほど考え出します。もう、とにかくネガティブです。プラスのことは一つも考えません。というか思いつきません。
事務書についてもしばらくボーッとしてます。なにについて考えたらいいのかよくわからなくて、じっと時間を待っていると、ネガティブの本質に手が届きそーになって、びっくりして我に返ったりします。おお、そうだ、僕は朝起きて、ここで、仕事などをしなくてはならない。
仕事と言っても、まだ出来たばかりの会社なので具体的にやることはとくにありません。
だいたいの場合隣にはやけにキャッチ−なルックスの社長がいて、未来について語り合います。 それが最近のもっとも大切な仕事といえます。
で、お昼も近くなってくると、なんとなくわけのわからない自信とかがゆっくりとわいてきて、今日も一日生きていけるような気になります。時々かーっと熱くなっていろんなアイデアがわいて来たりもしますが、まあ、すぐに落ち着きます。
空いた時間を見つけて、本を読んだり、ついにコーヒーを飲んだり、社長を誘ってご飯を食べたり、取材に行ったり、企画を考えたり、打ち合わせをしたり、バイトの事務さんと話したりしていると、なぜか夕方になっています。とても不思議です。
さらにそのあと社長とご飯を食べに行ったりもしますが、まあ、基本的には帰ります。
そして、今日一日の時間の中で、じつは一つの音がずーっとなり続けていたことに気づきます。
それは、どちらかというと、ギターとかベースとかピアノとかではなく
どちらかと言うと、マンドリンとかアコーディオンとかケーナとかの音のような気がします。
でもどれもやはり当てはまらない。どこかで聴いたことはあるけれど、それを聞いたときにはそれがこんなに大事な音だったなんて気づきもしなかった音です。
そしてその音はもう、二度と聴くことは出来ない。僕の記憶の中でだけ小さなかすかな音でなりつづけています。
家に着いたらご飯を食べ、ゲームをして、本を読み、テレビを見て、お風呂に入ります。その辺りからぼちぼちお酒をのみはじめて、雰囲気が怪しくなってきます。時間の流れ方がぐにゃりと曲がってわけのわからない進み方をします。蛍光灯がちかちかと明滅をはじめ、ソファーのきしむ音のスピードがあがっていく様です。
彼女は僕の隣にはいないので、電話をします。少しだけ距離が縮まったような気がするけど、「ここにはいない」という事実をしっかりと再確認させられたような気にもなります。ドラえもんについての話を僕らはする。彼の持つ不可逆性と、相対的なパラドクスについて。「記号としてのドラえもんが暗示するものをテキストとして描かれることが、合理化されたジャンキー文化の最も先鋭的な犠牲者となるだろう」呪文の様に毎晩彼女はそういって、のび太の未来を憂う。
「引出しをあけてごらん」と僕はいう。「だいじょうぶ、ドラえもんすらここにはいないのだから」
だれも、少しも安心しないまま電話は終わる。電話を切るときにはある種の幸福感とある種の罪悪感が残る。
眠りがいつやってくるのかは、とても文学的な範疇の話だし、今ここでそれについて書くことはよす。
でも、もう数ヶ月、僕は手紙もメールも書いていない。曲もあまり作っていない。爪を切って、耳掃除をして、生えかけで止まってしまった親知らずを丹念に磨く。
とりあえず時間が流れる。
いつか、まただれかれかまわず手紙を書きたくなる。たった一行で世界を変えてみせると本気で信じるようになる。
そう祈る様に信じながら、ベッドに入る。眠れなくてもベッドにいると少し落ち着く。
明日については考えない。
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