ふと気がつくと、自分に優しい人達だけを集めてえらそうにしている。なんで自分がこんなにえらそうにしているのかも見失う。
もし、僕らが誰かに対してえらそうに出来る、つまり誰かに対して優越感を持つことが出来るとするならば、それは相手も同じ位の確信で自分のことを見下していると信じられるときだ。僕らは嫌になるくらい公平な大地に生まれ、フラットな世界で、より純度の高い公平さを探している。
いや、何が公平なものか。われわれは虐げられ、辱められ、いまなお汚れた水をすすっている。
そうだ。僕は虐げられ、辱められている。
で、基準はどこだ。
とにかく、自分がどう考え、どこへ向かおうとしているか。どこまでもまっすぐ歩けるか。その次に社会性が必要になる。
そのラインのうんとうん手前で、自分のことを低く見る人々を僕はとても軽蔑します。
風邪をひいて熱のあるとき、手の暖かさが不思議と心地よかった。冷えた壁に触ると、溶けて別の空間が生まれそうだった。僕はどきどきして、いろんな人と手をつなぎたかったのだけど、もちろんだれもそばにはいなかったので、一人でこっそり手をつないだ。ここではないどこかのことを心から思った。
かえるが鳴いていた。たしかほんの少し前まで。
こんなに早く鳴けなくなるなんて、想像もしなかっただろう。
いや、知っていたからあんな風に鳴いたのかもしれない。
知らなかったから、あんなにのんきに歌えたのかもしれない。
いずれにせよ、彼が幸せでなかったなどと誰にも言わせはしない。
Posted by kato takao at 2001年11月15日 03:53 | TrackBack
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