2001年10月23日
不必要なものなどないのだと、なんども信じようとして失敗する。
僕は時に確信を持って「生まれてこなければ良かった人間」を見つめてしまう。あくまで主観的に。その視点が社会性をおびたなら僕はすばやく立ちあがって、正しい視点について上手に話すことが出来るとは思うけど。
僕が昔盗んだ自転車はどこにあるのかしら。どこにもないのかしら。覚えてない。何台も昔盗んだ。自転車を取ることが悪いことだなんて思ってなかった。
昔僕のもとに送られてきたひどい内容の手紙はいったい誰が書いてたんだろう。それから一日に100本もかかってきた電話は。
いつか僕を本当に本当に打ちのめしたまま二度と姿をあらわさなくなった人はどこへ消えてしまったのだろう。そして僕はおそらくそれとほぼ同数の人々に同じ哀しみを味あわせてきたのだ。
たたきのめした後、たたきのめされる。
何が必要で何が必要でないかについて考えてみる。
昔、僕の隣で彼女があまがわを押していた時にも、強く強く感じた感覚です。それがほんとに必要なのか?
だけど、大丈夫。どんなものでも完全なる不必要というものはこの世界にはない。
壊れた時計も一日に二度正確な時間を指し示すのです。
美しいね。
Posted by kato takao at 2001年10月23日 00:15 | TrackBack
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