2001年07月30日
何が僕の望みなのかわからない。
とにかく何かに向かって進んでいることは確かなのだけど、それが何かがわからない。
「僕はだれかを好きになる それがだれかはわからない」糸井重里
こんなつまんない事を的確に言葉に出来る糸井重里のことが大嫌いです。
人生は捨てたものではない。川辺の匂いや、ふとよぎる風や、朝起きて汗だくになっているまくらや、何年もかけて徹底的に履き潰されたスニーカーから、とても確実な良い部分を感じ取ることが出来る。一番問題なのはそれが持続しないことだ。友人達と楽しく時間を過ごして、その帰り道で今までの何倍も哀しくなったりする。ぼくは心から思う。「じゃあ、どうすればいいんだよ」と。
もちろん答えなんてないし、もし、あったとしてもそれは個々人の中にあるんだろう。でもそれにしてもあんまりじゃないか。こんなにひどい思いをすることはないんじゃないか。
しかし、その疑問は続けなくてはならない。「じゃあどうすればいいんだよ」と問いつづけなくてはならない。その結果僕らは以前よりももう少し疲弊した生き物として「進化」するのかもしれない。
今日は友人と贅沢な時間を過ごした。たとえば我々の間になにか困難がやってきても、今日のことを思えばある種の解決策を見つけられるかもしれない。少なくとも僕はそう思う。
鏡で自分の顔を見てみたら少しつかれていた。鏡が悪いのだと僕は思った。
「鏡が悪いのだ、僕ではない」
それでは。
Posted by kato takao at 2001年07月30日 02:05 | TrackBackみんなのコメント
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