友人のライブに行った。
友人のライブほど評価しにくいものはない。その人が元気に演奏しているだけで、ある意味とても良いライブということにもなってしまう。また、つまらない歌詞の曲を一曲作ったってだけでなんだか薄ら寒い気分になる時だってある。今日は前者。とにかく元気でアットホームで、ある種の良きものに守られているという実感のあるライブだった。きっと次の日に目覚めて彼らは哀しい気持ちなんかにならない。そういうライブ。
暗闇の中で手を伸ばすとなにかに触れそうです。その期待はほぼ確実に裏切られます。なにもない。なにもないということに慣れることが、一番手っ取り早く幸せになる方法なんじゃないかな。
「今日の風は夏の終わりのようにさびしい」と僕の友人は言いました。でもそんなことはない。夏はまだ終わりません。もしくは、まだなにも終わりはしないのだと、言えば良かったか。
夏の間に出来ることをすべてやってしまおうと思う。そして次は秋の間に出来ることをすべてやるのです。それ以外の生き方の出来る人は大至急連絡下さい。
「遠い夢に追いつけず苦しさに鍵をかける 閉じこめたその同じ鍵は開けるためのものだよ」友人は今日そう歌いました。
そうなのだろうと思う。遠い夢の苦しみと、それを克服するための鍵はまったく同じものなんです。もしそうでなかったのなら、もう少し楽だったのにね。この一行によって、今日のライブは是としよう。
彼のライブを見ているといつも良い歌詞が浮かぶ。変な風景なんだけど、僕は彼のライブを見ていて思いついた自分の歌詞に感動して、体中にさぶいぼが出来た。隣の人に感づかれないようにそっと手で覆った。
それでは。
Posted by kato takao at 2001年07月29日 01:58 | TrackBack
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