最近ずっと能力とか才能とかについて考えている。
自分が音楽をやったり、ものを作ったりしているときにはあんまり才能のことなんて考えなかった。
あるかもしれないし、ないかもしれないと思ってた。
ただ、一生懸命こつこつと続けてきた。
ありがちな答えだけど、続ける才能があったのかな。
やめる才能がなかったのか。
そこまでいっちゃうと結局言葉遊びだな。
結果を出した奴に才能があって、そうでない奴はみんな無能ってことになるのかな。
比較的若いときから「自分が作ったものでお金を稼ごう!」と決めていて、なんとかそれで食べてこれたのであんまり才能とかについて考える必要がなかった。
最近考えるのは、思いのほかみんなが自分の才能について考えてるから。
なんとなく僕も合わせて考えてしまう。
必死にならなくてもなんとなくずっとがんばれることがあって、それが完成するとうれしくて周りの人も褒めてくれる。そういうものがあればそれは才能があるってことなんだろう。
歯を食いしばって自分を律してやらなくてはならないことってあんまりない。
身体が勝手に文章を書きたがるし、音楽をやりたがるし、企画を作りたがる。
あとは良いものが出来るまでなんとなくがんばる。
眠いし、つらいし、もう嫌だなあと思うことはしょっちゅうあるけれど、がんばることをやめない。
で、きちんと期日に間に合うようにクオリティーの高いものを完成させる。
ああ、なんか今わかったけど、それが出来る人は才能や能力がある人だな。
自分の才能や、やりたいことを理解して、それをやり続けるために周辺のめんどくさいこともちゃきちゃきと処理しなくちゃならん。「時間がないからやりたいことが出来ない」って言ってる人はやっぱり才能がないってことになるんだろうな。優先順位もつけられないのに、良いものがつくれるはずがない。
ただ、才能って言葉が「生まれついて持っている特別な能力」っていう定義だからややこしいんだね。
大体みんな似たようなもんだよ。
俺なんか100m走の世界記録よりもたった2秒ちょっと遅いだけだったよ。高校生のときに。
毎日毎日黙々と一生懸命走ってた人は100mを9秒台で走れたかもしれないけれど、別に宇宙まで一瞬でいけるわけじゃない。
毎日毎日こつこつ無心で続けることが出来れば、大体の人がすごい作品を作れるんじゃないかなあ。
学生の子をずいぶんたくさん見てきたけれど、やっぱり就職してからもぐわーっと動いてる人は、学生の時から動いてた。良いものを作る人はやっぱり良い動き方をしてた。
そして、なにより圧倒的に運動量が多い。
「なにが良い動きか」ってことを一生懸命考えてる人よりもどかどか動いてそのうちの2割くらいが良い動きって人のほうが良いものを作ってる気がする。自然に動けてるのがいいんだよな。がんばることにがんばっちゃってる人が一番大変そうだし、非効率的な気がする。
あと、人から聞いた助言をちゃんと自分の言葉で言い換えて覚えてるのも、ちゃんと物が作れてる人の特徴だなあ。暗記していない。自分の言葉で言い換えている。人のことばをどんどん自分の体内に取り入れていく。
そして、自分の中から出てきた人生観をどんどん放出していく。
うん。なんか考えがまとまってよかった。
才能について考えるのはもうやめ。
要するに、ちゃくちゃくと頑張ってる奴はもう才能あるって話だ。
今結果が出てなくてもそのうち出るよ。
もし出なかったらそりゃもう社会の方が悪いよ。
いま思いついたのだけど、こないだ飲んでたSCRAPのデザイナーさんに「昔の方がちゃんとしたテキスト書いてた」とか言われて悔しかったので、僕もしばらくほぼ毎日日記を書いてやろうと思う。ちゃくちゃくとがんばろう。
良ければみなさま見に来てくださいませ。
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あと、やっと最近ツイッターが楽しくなってきました。
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加藤隆生
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うむ。
いよいよ俺も電脳化してきたぜ。
加藤さんの紡ぐ言葉は
いつもステキで心を奪われます。
これからもそのままで…
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