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2001年08月02日


 今日は泳ぎました。もうもりもり泳ぎました。おばさん達に囲まれて泳いだのでちょっとしたアイドルでした。

 泳ぐってのは特別な作業のような気がします。僕はそんなに泳ぎが上手というわけではないけど、それでもひとつターンをするたびになにかが体から剥がれ落ちていくのが実感できます。剥がれ落ちていくのは、陸上でのしがらみではないかと思う。いや、うん、そうであって欲しいと思う。毎週木曜日は泳ぐことにしました。家から自転車で5分のところです。一回800円。お金を払ってスポーツをするなんてブルジョアだなあ。

 家に帰ってビールを飲んだら、なにもかもが僕から剥がれ落ちていって、ビールを楽しむためだけの生命体になったようだった。ビールをおいしく飲むための存在。ミスタービール。とても正しい。むろん、少し哀しみも抱える、ミスタービール。

 「時間はゆっくりと、でも確実に流れる。まるで冷蔵庫の中の肉がこっそりと腐っていくように」
 1ヶ月ほど前に僕はそう書いたのだけど、今日冷蔵庫ずーーと奥のほうで納豆が一個だけで腐りました。納豆が腐るというのはとても深い孤独を思わせます。最初は三つ一緒にならんでスーパーで売られていて、一つずつばらばらになり、最後の一個が暗く冷たい冷蔵庫の中でゆっくりと腐っていくのです。
 僕は納豆のことを考える。
 一人ぼっちで食べられるときを待っている納豆。幾度となく扉は開き、光が差し込み、「今度こそ」と彼は思う。でも毎回期待は裏切られるのです。そして、自分の体は衰えていく。彼は祈る。「ああ、このまま僕が醜く朽ち果てていくのなら、神よなぜこの世にこの哀れな生き物を生じさせたのか」もちろん、だれも答えない。なんともならない。リミットは近づく。そしてリミットを越える。「一日くらいならなんとかなるかもしれない」と彼は思う。「昨日大丈夫だったのだから今日もまだ食べられる」しかしやがて期待は最も深い失望に変わる。2週間。納豆にとっては致命的な時間。もう、捨てられる以外に手はない。そして彼はさらにその二日後発見される。でも、もうなにも思わない。意識はある。でも、もう自分には存在意義がないのだ。存在意義のない意識になんの意味があるだろう。彼は冷蔵庫から取り出され、夏の日差しに晒されたポリバケツの中でさらに深く腐る。だれにも知られずに一度だけかれは泣く。かすかに、ほんの一瞬。

 もう、納豆を腐らせてはいけない。納豆を腐らせるということはとても罪深いことです。

 ということで、今日のタイトルは「プールと納豆」
 なんというか、とてもミスマッチな単語ですね。

 それでは。

Posted by kato takao at 2001年08月02日 23:37 | TrackBack
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