「見わたせば柳さくら」を読んだ

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高砂部屋がなにかやらかすことを約20年前に言い切っていた預言書。「日本人の表現」がテーマの対談。とりとめのない感じの対談が日本人表現的とも言える。こういうのを読むのはあんまり得意でないです。3ヶ月くらいかかって寝ながら読んだのでもうあんまり覚えていない。

「とりとめのない」っていう言葉は日本人表現的だなあ(別にいいんだけど)。つまり結論があってそれに向かう筋道に沿って進んでいるような感じではなくて、話の過程から自分で察してくださいという感じかなあ。対談てそもそもそういうもんか。

僕は20代から日本人的な表現を敬遠してきたんだなあって思いました。今は揺り戻されてる時期かなあ。

「見わたせば柳さくら」

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