グッバイマイホームタウン

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僕の生まれた町は山口県内の日本海に面する風光明媚な田舎町です。その隣の隣の市役所の職務執行者という肩書きのヒトから封書が届いた。どうやら僕の生まれた町は先月の22日になくなって、隣の隣の市に合併されてしまったらしい。本籍が変わりました、と書いてある。僕が住んでいた町の名前から「町」の字がとれて地区名に成り下がっている。わお。微かにセンチメンタル。

町のホームページ(の残骸)を見たら僕の町が「町」になったときのことが軽く書いてあった。3村と隣の村の一部が合併してできた町だということ。昭和29年だから1954年、今から51年前の話だ。(今テキトーに調べた限りではこの年は今年みたいに全国的に合併が進められた年だったみたい。たぶんね。昭和の大合併!)3村と言っても、名前を見るとそこがかなり小さい村だったことが僕にはわかる。隣の村の一部が「わしらはこっちがええほやないか?」って言ってわざわざこっちに来ているわけだから、ヒトの気持ちと行政がまだがっちり繋がっている時代だったのかなあ、と想像してみる。

最近「おーい龍馬」を読んでいるせいか、この3村の合併のために村の年寄りたちが一カ所に集まって話し合いを重ねる姿などが頭に浮かんでくる。若い人たちは若い人同士で「県が合併せんといかんって言うちょってもこれじゃいかんっちゃ」って将来についての意見をぶつけあったりして。本当にそんな感じだったのだろうか。ちょっと憧れる。

それにしても下関市はぶち大きゅうなっとらーやー。あれは大きゅうなりすぎやないほかっちゃ。そのうち萩市と長門市がいっしょになって長州市とかなるほやないんじゃろうか。ほしたらさつま町と歴史的な同盟を実現さして日本政府を倒す一大勢力にでもなるんじゃろうか。

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