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ロボピッチャー・かとうたかおのweblog

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2015年03月30日
企画の作り方 その3

その1で「良い企画」ってのは「世界をよくする企画だ」って書いたけれど、たぶん大部分の人たちが「まあまあ確かにそういえる部分はあるけれど、結局そんなおおげさなことじゃないでしょ」って思ってると思う。
ちょっとしたグッズの企画だって企画だし、友人のためのサプライズパーティーだって企画だし、ただクスリと笑えるだけのちょっとしたイラストだって企画と言えるし、世界がどうのこうのって暑苦しいわ!ってたくさんの人が思うと思う。

でも、僕はやはりなにかを生み出して、それを誰かに見せてしまった時点で、もう世界は変わってしまうと思ってる。
少なくとも、あなたが作品を生み出して発表する前と後では世界は変わっている。
何が変わっているのかはわからない。
どう変わっているのかもわからない。
でも、間違いなく言えることは、もうさっきまでとは違う世界がそこにあるってことだ。

もちろん、一見わからない。
何も変わってないように見える。
でも確実に変わってる。一緒のはずがない。
何かを作って、それを誰かに見せて、まったく世界に変化がないわけじゃない。
どこかで誰かの心を少しだけ動かしている。記憶に残っている。
心が少しでも動いたら、それは行動にも少しは現われる。
行動が世界を作っていくんだから、やっぱりあなたの作品は世界をほんの少しだけかすかに変えているといってもいいと思う。

そう思わなくちゃいけないと僕は思う。
あなたが今作っているものが世界を変える。
そう考えたときに、あなたは今作っているものを、本当に胸を張って世界に出せるだろうか?
そして、世界を変えてしまうなら、どんな世界にしたいかを考えながらじゃないと、企画なんて考えられないと思わない?

だから僕は、本当に自分が作りたいものしか作っちゃダメだと思う。
本当に自分が良いと思うものを世界に送り出さなくちゃいけない。
それで世界が変わってしまっても悔いのないものを出さないといけない。
本当に自分が感動できるものを、もし自分がまっさらの状態でその作品を見たときに、嫉妬でびりびりに破り捨てたくなるようなものを世に出さなくてはならない。

これは「すごい作品を世に送り出す」という話とは少しだけ違う。
今僕がしているのは企画の話なので、これはベクトルの話を言ってもいい。
あえて言うけれど、未完成なものを世に送り出すことを僕は恐れない。
細部まで完璧に構築されているものを世に出せといっているわけではない。
企画ってのは構造だ。
大まかなつくりだ。
方向性であり、目指すべき一点の場所への言及である。
それは少なくとも間違ってはいけない。
だから、どんなに荒いものであっても、「企画」の部分がちゃんとしてるなら、もう世に出してみるってのは僕は好きなやり方です。
全く売れなかったとか、ぜんぜん評価されなかったとか失敗もたくさんあるけれど、自分のベクトルとずれた企画を世の中に送り出したことは一度もないと断言できる。

なんか概念的な話ばっかりになっちゃってるけれど、次からはちょっと実践的な話を。

kato takao** 30/3/2015 月曜日 00:44 | Link | TB (0) | コメント(0)
2015年03月29日
企画の作り方 その2

さて、企画の作り方について考えるには、まず「企画とは何か?」について考えなくちゃいけません。
僕は企画とは「ジャンルをつくること」だと思っています。


たとえばなんらかの物語をあなたが紡ぎたいと思ったときに、あなたが最初にすべきことはどんな小説を書こうか考えるのではなくて、「どのジャンルで私の物語を紡ごうか」と考えなくちゃいけない。
世の中にはたくさんの表現の場があります。
映画、小説、マンガ、演劇、ゲーム、音楽、広告などなど。
はたしてどのジャンルで自分が物語を表現したいのかを考えなくちゃいけない。
ほとんどの人たちが、「わたしは音楽が好きだから」という理由で、そのジャンルの作品を作ろうとします。
でも、実はジャンルを飛び越えることなんて簡単なことだから、自分に最もあった表現の場所を見つけなくちゃいけない。

そして、かならず疑わなくちゃいけないのが「はたして、今世界にあるジャンルの中に自分の物語をぴったりと表現するものがあるのかどうか」ってことです。
今すでにあるジャンルの中に、はたして本当にあなたが表現したいことを表現できるジャンルがあるんでしょうか?
このことをいつでも疑っていなくちゃいけない。
小説の力を妄信しちゃいけない。
演劇の力を妄信しちゃいけない。
広告の力を妄信しちゃいけない。
マンガの力を妄信しちゃいけない。
それらの表現は「誰かが作ったジャンル」であって、あなたがつくったものではない。

「ジャンルなんてつくれないよ」とあなたはいうかもしれない。
まあそうですよね。ジャンルをつくるなんてとてもじゃないけど無理のように思える。
でも、「ジャンルをつくるくらいの志」で生きることはできる。
「ジャンルをつくるくらいの志」で今あるものを疑うことは出来る。

過去に誰かが作ったジャンルを妄信するのはやめよう。
それがたとえ世界中で認められているシステムであったとしても。
せっかく自由になりたくて会社を辞めたのに、「音楽で生きていこう!」としか考えられないなんて、そんなのまったく不自由です。僕がそうでした。

良い小説を書くための企画を否定するわけではありません。
良い漫画を描くためにも、よい演劇を上演するためにも「企画」は当然必要です。
でも、「企画」という言葉の最も根源的な意味は「ないものを作り出す」ことだと僕は思っています。
「企画なんて、すでにあるものとあるものと結びつけるだけのことだよ」とかいう意見が世の中を席巻しています。
もちろんそれだって正しいのかもしれない。僕だって、そういう企画の作り方をすることはよくある。
でも、やっぱり僕はジャンルごと何かを創出するような、ムーブメントを巻き起こすような何かを思いつきたいと思うし、それを「企画」だと思いたい。

最高の映画を作った人と、「映画」を作った人とどっちがすごいんだろうね。
どっちもすごいと思うけれど、僕は後者のほうがすごいと思います。
なぜなら、後者ほどすごい「企画者」はいないと思うからです。

で、これってすごく概念的なことであまり企画を作るうえで役に立たないことのように思えるけど実はそうじゃない。
実用的に言うと、「視点を一つ上からにする」ってのはどうやら良い企画者の持つ最低限の能力のようです。

たとえばクライアントから「駅貼りポスターのよい企画を考えてください」と言われたときに、「この企画に本当に適切なのは駅貼りポスターなんだろうか?」と考えることは視点が一つ上にある考え方だと思います。
「駅貼りポスター」という限定からはじまるクリエイティブには制約がある。でも、その制約を利用してすごいクリエイティブを生み出す人もたくさんいます。ただ、まずは「なぜ駅貼りなんだろう?駅貼りじゃなくちゃいけない理由はなんだろう?」と考えないと、駅貼りの良い企画は生まれないと思います。

うわ、広告のことなんかぜんぜん知らねえのに、広告の例を出しちゃった。

たとえば、僕で言うと。
「日常はもっとすばらしくあるべきだ」というメッセージを伝えるために、音楽をやったり、文章を書いたししていました。
でも、結局のところ、そういう「作品」って日常とは違うところで存在してるんですね。
だかr、あ「日常の中にある作品」を作らなくてはならないと思った。
だから、日常の中にあるフリーペーパーをつくったり、日常と地続きにある「イベント」を表現の場所に選んだ。

この辺の話はとても入り組んでる。
世の中のほとんどの企画屋は、今自分のいる場所がそこだから、そこで出来る企画を考えている。
でも僕はそれは企画の幅を狭めていると思います。
プロの企画屋でお金をたくさん稼いでいる人ほど、自分のクリエイティブの幅を狭めているのは滑稽ですね。

企画ってのは「いままだないもの」をつくりだすもので、「ジャンルごと作り出す」くらいの勢いで考えないとダメで、もしそれが出来ないとしても、今求められているクリエイティブを一つ次元をあげて考えるという行為自体が「企画」であると僕は思います。

そして、今はないジャンルを生み出さなくてはならないほどすごいメッセージがないと、「企画」ってのは生まれないんじゃないかと思います。

kato takao** 29/3/2015 日曜日 05:47 | Link | TB (0) | コメント(0)
2015年03月17日
企画の作り方 その1

最近ツイッターに「企画」について書くと、すごくリツイートされる。
すごくといっても他のくだらない呟きよりはというレベルだけど、とにかく他よりはずっとされる。

でも、ツイッターって結局耳障りのいい、なんとなく役に立ちそうな部分だけピックアップされて消費されて終わっちゃう気がしている。
だから、そんなにみんなが企画の進め方を知りたいのなら、「企画の作り方」についての個人的な考えをきちんと書いておこうかなと思った。

まずは「良い企画とはなにか?」から話さなくちゃならない。

僕は良い企画ってのは「世界を良くする企画」だと思ってる。
なんらかのアイデアで、世界がよくなったら、それは良い企画だ。
単純だ。

じゃあ、「良い世界」ってなんだろう。
良い世界なんて、人によってぜんぜん違うじゃないか!!その定義はなんだよ!とあなたは言うかもしれない。
僕に言わすと、それは自分で思い描かないといけない。
自分が「世界はどうなって欲しいのか」を明確にしないと企画なんて作れない。

だから、企画を作りたい人はまず「自分はどんな世界を望むのか、そして今の世界の何が気にくわないのか」について明確な言葉を持たなくてはならない。
それがない人が良い企画を作れることはない。
と、僕は思います。

かなり乱暴にシンプルにいうと「なにが好きで何が嫌いかを明確に自覚する必要がある」ってことです。
それを広げていくと「どんな世界を望むのか、今の世界の何が気にくわないのか」という問いにたどり着くんじゃないかと思います。たぶん。

さて、良い企画の定義は一応出来ました。
では、そもそも「企画」ってなんでしょうか。
僕が思う「企画」についてはまた次回。

kato takao** 17/3/2015 火曜日 02:17 | Link | TB (0) | コメント(0)
2015年03月09日
三月の眠らなくちゃならない夜の

書きたいことはたくさんあったような気がするのだけけれど、きちんと文章を書く時間を作れなかった。
一人でいる時間が少なすぎるのかもしれない。
ほぼずっと誰かといるし。
もう少し孤独が日常になれば、文章も書くだろう。昔みたいに。

少し前のことになっちゃいますが、アメリカにしばらく行ってました。
ニューヨークをふらふらして、ラスベガスでわあわあやって、サンフランシスコで粛々と仕事。
いろんなすばらしいことがあったけれど、一番印象に残ってるのは行きしなの飛行機の中で思いついたちょっとしたアイデアのこと。
これでもう今年のZEPPは最高になる!と思って興奮した。
今年のZEPPツアーはすごいことになりますよ。

あと、弊社松田と二人で食べたニューヨークの朝ごはんが忘れられない。
お店の装飾や、トイレの雰囲気や、出てきた料理のディティールまで覚えてる。
あのときの会話はまるで予言のようで、美しい時間でした。

最大の衝撃はアメリカ近代美術館で訪れた。
積み上げられた膨大な熱量がそこにあった。
アートのことを信じていなかったけれど、この熱量を目の当たりにしたら信じざるを得ない。
もっとやらなくちゃと思った。
僕はただ仕組みを作っただけで、今熱量を投下して何かを日々生み出しているわけじゃない。
もっと自分の手でたくさんのものを生み出さなくてはと思った。
ピカソとかモネとかウォーホールとかそういう人たちってちゃんと存在していて、ちゃんと筆を握って、キャンパスに熱を叩きつけたんだな。
そういうのって、どこか遠いここじゃない場所で行われていたのかと思っていたけれど、きちんと現実の場所で、この世界の時間軸の中で行われた「熱」であることを確認した次第。
僕も、その熱の中にいたい。

飛行機の中で見た「The judge」という映画がなかなか面白かったのだけど、その挿入歌で流れていたボン・イヴェールって人の音楽にめちゃくちゃ惹かれて、今毎晩聴いている。
とても静かな音楽だけど、爆音で聴きたくなる。
静かな暴動がここにはあって、有を生む無の存在を証明している。
世界は静かに変わっていくのですよ、お嬢さん。特別な日に特別な何かがあって一変するのではありません。
静かに、確実に、少しずつ変わっていくのです。

今日は世田谷文学館に「岡崎京子展」を観にいく。
いろんな都合であまりゆっくり観られなかったけれど、濃密な空間でした。
泣いている人がいて、そっと目頭を押さえる仕草がスローモーションみたいだった。
ここにもまた熱量がいて、「なあお前は次になに作るんだよ!」って問いかけられてるみたい。
さあ、そんなことをいわれても知りませんよ。

「作る」ってなんだろう。
作ることがずっと日常だったけれど、少し「作る」から距離をとるとそれはとても不思議に見える。
マーケティング?ブランディング?戦略や同時代性。

もっとむき出しの何かでいられ続けられないだろうか?
もっと浅はかで愚かで誠実な何かでいられないだろうか?
僕の指はAM7thを押さえるよりも、会計データをチェックすることに慣れてしまった。

何かを考えていたい。
何か書いていたいし、いつも話していたい。
誰も思いつかないことを思いつきたいし、まだここにはないものを作りたい。
圧倒的にすごいものを作りたいのだ。
批評家面した似非野郎が一言もしゃべれなくなるようなすごいものを。

kato takao** 09/3/2015 月曜日 03:27 | Link | TB (0) | コメント(0)

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