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ロボピッチャー・かとうたかおのweblog

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2005年08月19日
8/24と8/26について

 こんにちは。
 本日は、またもや、ロボピッチャーの練習をしました。
 しばらくやってない曲や、まだライブではやったことのない曲の練習です。
 自分で作った曲ですが、こうしてリハーサルをしていると、「ああ、この曲はこういう曲だったんだ」と再認識できてとても楽しい。

 えーっとですね、僕ら主催のイベントが間近に近づいてきて、胸がはちきれそうです。
 なんとかこの二日は来ていただきたいです。8/24は大阪で、8/26は東京です。
 大阪では、久しぶりにご一緒するマジシャンズが楽しみ。クリームチーズオブさんには、元ハラッパカラッパの倉光さんも加入だそうで、なんか同窓会みたいな感じです。ぴりぴりした同窓会にしてやる。で、とにかく、楽しみなのがAPOGEE!このバンドの音源を聞いたときはもうびっくりしました。俺の持ってないものを全部もってるんじゃねえかと思うほどのあふれる才能ですよこれは。
 僕らが一緒にやってみたい人達だけを集めてやるイベントです。スタートから終演まで全部のバンドが素晴らしいなんて夢みたいです。もう最近は、つまんないバンドといっしょにやるとすっかり気分が悪くな・・・・あ、あわわ。いや、うそ。毎回毎回素晴らしいバンドばかりとライブさせていただいていてうれしいです。はい。
 でも、この日は、まあ、ほんとに全部良いということで。

■ 2005/8/24(水)大阪・RAIN DOGS 「ボロはキてても、リターンズ!」 
【出演】APOGEE、クリームチーズオブサン、the★magicians、 ロボピッチャー 
【時間】open 18:00 start 19:00 (出演は4番目です)
【料金】¥2,000(adv) ¥2,500(door) +drink¥500
 

 そして、みなさま!お忘れになってはおられないでしょうか。
 東京コントロールですよ!
 なんとこの日は憧れのclingonとの2マンで、たっぷりと演奏いたします。
 関西のお客さんからは「東京でばかりイベントやっててずるい」とか「ロボピッチャーってもう東京に住んでるんですか?」といわれるほどに、関西圏でのわれわれにダメージを与えたこのイベントが早くも第二回です。もう、やぶれかぶれですわ。いやっほーい。やったるで。
 このイベントが終わると、東京でのライブはしばらくありません。11月くらいまで行かない模様です。ボロフェスタの準備とかに入っちゃうので、あんまり遠出できないんです。
 そんなわけで、この機会にぜひとも今のロボピッチャーを目に焼き付けてください。
 見逃した事を死ぬまで後悔させるような、伝説的にハートウォーミングなライブをします。凍えた心もぽっかぽかです。冷たく冷え切ったあなたの日常に電子レンジでチンですよ

■ 2005/8/26(金)青山・月見ル君想フ 
ロボピッチャーの「東京コントロール Vol.2」
【出演】Clingon / ロボピッチャー
【時間】open 18:30 start 19:00 (出演は2番目、20:05頃の予定です)
【料金】¥2,000(adv) ¥2,500 +drink
【info】月見ル君想フ/03-5474-8115 http://www.moonromantic.com

 ああああああああ!!
 そして、この二日間でしか手に入らない、あの伝説の小冊子「ロボピッチャーの格言集改訂版」も現在、血ヘドを吐きながら製作中です!もうこの二日間でしか絶対に配りません。
 「前の東京コントロールで配った格言集VOL.1ってもう手に入らないんですか?」という問い合わせが山ほど来ておりますが、残念ながら、もう手に入りません!今やヤフオクで48,000円の値が付くというプレミア小冊子になっております!(嘘!)
 そんなわけで、入場料を払ったって心も財布も得するという、信じがたいイベントです。ええ、いいんですよ、いいんですよ。僕は皆さんが幸せならそれでいいんです。
 格言集を夜な夜な眺めてうっとりとするもよし。さっさと売り払って一財産作るもよし。その財源をもとに土地を転がしたりして、バブルの残照の中で億万長者とかになったらいいんじゃないの?この二日のイベントのどちらかに来たら、もう億万長者ですよ!

 とか、まあ、ぱっと見た感じ、ライブのお誘いの宣伝文句とは思えないような文言が並んでおりますが、私がはっきりと自信を持って言えることは、今回のライブも、すばらしい演奏を僕らはするってことです。今までライブでやらなかった曲もどんどんやります。まあ、一度だまされたと思って。ねえ。頼むよ。

 どちらのライブもロボピッチャーHPにてまだまだ絶賛予約受付中です。ライブ当日の13時くらいまでは大丈夫。ああ、チケットこの日は売り切れちゃいましたごめんなさいとか書いてみたいなあ。

 さて、それでは、今から格言集を作ります。

 では、ライブでお会いしましょう!
 

kato takao** 19/8/2005 金曜日 07:05 | Link | TB (0) | コメント(0)
2005年08月18日
結局

 結局なんかいろいろ作っております。怒涛です。
 今日最高の一行は「つまるところ、大切なのは大切じゃないことなんです」という英文の和訳。あきれるほどの意訳をしてやりました。

 大切なのは、意味よりもリズムじゃねえのか、って思うこのごろ。
 熟考よりも勢いのほうが大事だってこととおんなじですよね。

 先日のライブでお客さんから頂いたオリオンビールで沖縄気分です。いやっほう。うわー、空があけて来たー。

 作れたらうれしくて、作れなかったら消えたくなるような、そんなぎりぎりの感じで、結局やっていくんだな。
 わかりました。

 ちなみに、昨日歌っていた曲は「ヘブン」。
 すばらしい曲です。
 次のアルバムに入っております。
 なんとか聞いてみてください。

kato takao** 18/8/2005 木曜日 06:37 | Link | TB (0) | コメント(2)
2005年08月17日
まあなあ

 今日はロボピッチャーの練習をしました。
 何曲か新曲をもって行きたかったのだけど、直前で失速してやめました。
 レコーディングした曲をライブでやる練習をしました。良い感じ。
 8月はあと、3回ライブがあるので、そこで演奏できたらいいな。

 お盆は連日飲んだくれていました。 
 ずいぶんお酒に弱くなった。ビールを3本も飲むと身体に斑点が出来ます。おそらく、宝の地図かなんかが身体に浮んでくるのだと思う。300年前に海賊が隠した宝物のありかが、時を越えて僕の身体に焼きついたのでしょう。
 つくづく思うけど、世の中に無駄なものなんてない。
 身体に出来た斑点すら、宝物につながっているように。

 約束をいくつか破ってしまいました。
 なんにもつくりたくないなあと思いながら二日ほど生きてみたら、さまざまな管理能力が全部ストップしてしまったみたいです。
 だめだこれは。
 僕のせいで、がっかりしたりしょんぼりしたりしている人がいると思うと、本当に心が暗くなります。ごめんなさい。

 僕は自分の家で、仕事をしているのですが、生活する場所と、仕事をする場所が同じというのは、切り替えが出来なくてだめですね。
 さあ、仕事をしようと思って机の前に座っても、うっかりzookeeperをやってしまったり、本を読んでしまったりなんかふらふらしてしまいます。視点が定まりません。僕がぴりっと仕事が出来る時間がやってくるのをだらだらと待ち続けなくてはならないのです。
 僕には残念ながらその自由があり、周りのみんなは優しくて、ぼんやりとしているだけで、ちやほやされてしまうのです。うそだけど。
 出勤というのは、あれはなかなか合理的なシステムなのかもしれない。僕は家でだらだらとビールを飲みながら仕事したりとかもしちゃうので、それはちょっとよくないなあと思っているところ。やはりここは思い切って、物件を探そう。仕事場がもう一ついる。
 
 つまりはあれだ。
 「毎日15分の努力で人生はばら色に!」というキャッチコピーがあったとして、それは毎日15分影絵でキツネを作るということだったとして、しかもそれをやったほとんどの人の人生がばら色になったとしても、僕にはそれはできないということなのです。
 僕は、1日に15分の努力する事が出来ないのです。
 
 丁寧に理性的に狂人になりたいと願う少女のように、僕は正しく思念的な努力をしていくのでしょう。
 少なくとも、毎日15分の努力では見つからないものを探すのだと思う。
 幸せになるための方法にだって、美学はある。
 なにがなんでも幸せになりゃいいってもんじゃない。

 自殺したいと願った方が、殺されてしまったそうです。
 いったいなんて思ったらよいのかわからなかったので、僕なりに胸を痛めて、一人ぼっちで歌ってあげました。
 家で一人で、きちんとした歌を歌ったのは久しぶりだったので、うっかり泣いてしまいそうにもなりましたが、まあきっと気のせいでしょう。

 それにしても、僕の歌は僕を癒す。
 僕がいる場所から見る僕は、みんなが見てる僕とどれくらい違うんだろう。

kato takao** 17/8/2005 水曜日 05:25 | Link | TB (0) | コメント(0)
2005年08月14日
なにも

 この三日間であったことはうまくいえない。
 単純な数字を並べるとこうなる。

 1500kmほど移動して、
 2回ライブをやって、
 13年以上ヒーローだった人と話しをして、
 弦を8本張り替えて、
 仕事を2本受注して、
 ボロフェスタのブッキングを一つ決めて、
 カレーを2回食べて、
 ラーメンを3回食べて、
 チラシ1500枚くらいを30箇所くらいに配って、
 本を1冊読んで、
 世界陸上を2時間ほど見て、
 高校野球を1試合見て
 3日とも飲んで、
 3日ともものすごくたくさん飲んで、
 たぶんビールを合計10リットルは飲んで、
 CDは合計15枚売れました、
 多分計14曲歌った、
 お客さんは250人くらい来てくれたかなあ、
 ギターアンプのボリュームは二日とも「4」に設定しました、
 僕はRolandのJCしか使いません、
 なぜならどこにでもあるからです、
 おそらく、そのほかにも、
 眠ったり、
 電話したり、
 漫画を読んだり、
 打ち合わせをしたり、
 シャワーを浴びたりしていると思うのですが、
 うまく思い出せません。

 何をやってるんだろうなあと思う。
 何に向かってるのかもうわからん。
 ただ動いてて、考える間もなくて、それはそれでいいか。いいのか。

 会う人みんなに「忙しそうですね」といわれますが、忙しいのどうかもよくわかりません。
 でも、僕の人生で最も殺人的に忙しかったのは間違いなく就職していた2年間です。
 僕はいろんなミュージシャンを見てきましたが、僕が就職していた会社の人より忙しい人は見たことがありません。
 おそらく毎日17時間働いているミュージシャンはいないでしょう。

 僕は、朝9時から働いていた同僚が夜中の1時に「今からチラシの読みあわせが4枚あって、見積もりを5件作って、それを得意先に持って行ったら帰れるかも知れないけど、まだわからない」と言ったときの乾いた笑いを忘れる事が出来ません。 
 朝9時にタイムカードを押したのに、退社もなくまた翌朝の10時に出社になっていて、ああ、もうなんか上手く説明できない。胸がいっぱいで。

 お昼ごはんも必死で食べました。忙しい時期は、お昼ごはんを注文して、来るまでの間がちょっと休憩できる時間でした。

 見積もりを作って、上司に報告して、指示書を作って、上司に報告して、営業に回って、上司に報告して、校正を持っていって、コンセを持っていって、色校を持っていって、雑談をして、次の仕事の話をして、前の仕事の話をして、また見積もりを持っていて、ミスをして、しかられて、上司の報告して、しかられて、出来上がった商品の見本を検品して、納付書を書いて、月の売り上げを計算して、会議をして、会議をして、飯を食って、週末を待って。

 週末を待った。ただ、週末を。
 月曜日には死にたくなった。
 火曜日には水曜日を待った。
 水曜日は折り返し点だった。
 木曜日は金曜日の予定を入れた。
 金曜日には浮き足立って、幸せだった。
 土曜日にはでも、家で残った仕事をした。
 日曜日にライブを入れて必死で音楽を続けました。

 どう贔屓目に見ても、当時僕が就職していた会社の人達よりも働いているミュージシャンはいないと思う。
 僕はいやいや働いていたので、まだましだったけど、必死で働いていた人の仕事量は本当に、本当にすごかった。今思えば涙が出そうなほどすごかった。

 なんか、あの人達が言葉を持って、なにかを作ればいいような気がする。

 精神的なぎりぎりのラインがどこに設定されているのか、僕にはよくわかりませんが、物理的なぎりぎりのラインはあの頃に何度か経験しました。
 あと二週間で、納品しなくてはならない商品が30点を越えたときのあの絶望的な恐怖感は今でも忘れません。

 その、本当に追い詰められた時に、フィッシュマンズの佐藤伸治が死んで、彼の葬式と、ものすごく大事な商品の納品日が重なって、葬式にいけなかったときに僕は会社を辞めることを決めました。
 理由は二つ。
 大切な人間の葬式にもいけないような状態はおかしいと思ったことと、
 その音楽を受け継ぎたいと思ったからでした。

 まあ、でも、今から思えば、しんどくて投げ出したんだろうな。
 ほんとに辛かった。

 家に帰って、スーツを脱ぐ気力もなくて、ばたりとソファーに倒れて、そのまま朝が来て、3分でシャワーを浴びて、また会社に行きました。
 別にそんなの普通で、取り立てて特別なことではなくて、みんなそうでした。

 あの頃は、こんなの死んでるのと同じだと思ったけど、あんなにいそがしくがんばっていたのは、あのときだけだな。

 僕らは、あのすさまじい時間の拘束を逃れる代わりに、精神的なダメージを宿命的に負ったのかもしれない。
 さて、それを音楽に昇華するのか。
 できるのか。
 出来ないのか。
 それが問題だ。ああ。

----------------------------------------------------------------------------------

 ところで、なにも今作りたくない。
 メロディーも、歌詞も、雑誌の企画も、イベントも、格言も、コラムも、なにも。
 そんな夜もあっていいでしょう?
 僕はなにも作りたくなくて、なにも作りたくない僕はいったいどんな存在意義があるんだろうと思ったらこんな日記になっちゃって、ちょっともてあましています。

 先日一緒に飲んだ人が
 「私は作るのは好きだけど、語るべきことやメッセージが何もないので、それを人に見せたいとは思わない」と言った。
 じゃあ、僕のメッセージってなんなんだろう。
 
 僕はなにかを作りたいだけで、それを人に見せたいだけで、メッセージなんてないのかもな。あるのかもな。わかんないな。

 それで、今、なにも作りたくないってのは、まあ、いろんなものを作ってきた副作用で、
 いまはなにもつくりたくない
 ってことなんだろう。きっと。

 疲れてんのかな。
 そんなに著しく疲れてるとは思えん。
 自覚症状がなくて、よくわからん。

 

 

kato takao** 14/8/2005 日曜日 07:32 | Link | TB (0) | コメント(1)
2005年08月10日
いま

 さて、
 今、このテキストを読んでいる人は、何をしながら読んでいるのでしょうか。
 
 仕事の合間に読んでいるのでしょうか。
 朝、目が覚めてすぐに見てくれているのでしょうか。
 朝食と共になんとなく眺めてくれているんでしょうか。 
 学校のPCで見てくれている人もいるんじゃないでしょうか。
 家で一人で暇つぶしに見てる人もたくさんいるでしょうね。
 一日の仕事や学校を終え、帰ってきて一息ついてやってみてくれた人もいるでしょう。
 お子さんを学校に送り出して、家事の合間に見てくれている人もいるんじゃないかな。
 どこかの街の漫画喫茶からアクセスしてくれてる人もいるんでしょうか。
 ちょっとしゃれた人なら、ノートパソコンを駆使して、こじゃれたカフェなんかから見てくれてるかもしれません。
 ひょっとすると、海外からの方もいるかもしれませんね。

 まあ、たくさんの人が、見てくれていると思うのですが、もし、あなたがこれを読んでいる時間が、8/10の18:00より前で、関西付近におられるなら、まだチャンスがあります。
 今日のライブは外れのない馬券です。
 買えば買うほど得します。
 絶対に上る株券なのです。
 確実に効果の出るダイエット食品です。

 ソウルフラワーユニオンは、現存する日本のバンドの中で僕が最も尊敬するバンドです。
 音楽は魂と結びついていて、しかもそこに意味があるのだということをはっきりと音楽で示してくれるバンドです。
 やっと一緒のステージに立たせてもらえることが出来ました。
 10年以上前から、中川敬さんの曲が好きで聞いていて、こうして今一緒にライブをやるってすごいなあと思います。

 やめなくて良かった。

 そしてもう一つのバンドはママスタジヲ。
 京都を代表するロックバンドです。

 そして!
 なぜかDJにLimited Express(has gone?)の飯田純一郎!(苦笑からのち爆笑)
 なんでお前やねん!

 この愛憎渦巻くライブイベントは、きっと特別な場所になると思います。
 きっとまだ間に合うと思います。
 ロボピッチャーの出演は二番目で、7:55くらいからの出演です。
 
 ところで、今日の日記の意味ありげな書き出しの意味がわかりませんね。
 では、また!

■ 2005/8/10(水)大阪・Shangri-La
【出演】ソウルフラワーユニオン、ママスタジヲ、ロボピッチャー 
【出演】DJ: 飯田仁一郎 / Limited Express(has gone?)
【時間】open 18:00 start 19:00  【料金】¥3,500(adv) ¥4,000(door) +drink
【info】06-6258-2304/Shangri-La / E-mail: shangrila@ldandk.com
    http://www.shan-gri-la.jp/
 

kato takao** 10/8/2005 水曜日 05:22 | Link | TB (0) | コメント(0)
2005年08月05日
ほほ本日

 本日、SCRAP創刊一周年記念パーティです。
 お暇な方はぜひ! 
 当日券もありますとも。

 ぜひぜひ。

「歌って踊れる編集会議!vol.1」
日時:2005年8月5日(金) open 18:00 / start19:00
場所:ライブハウス 京都二条NANO & s.sense
    http://www.eonet.ne.jp/%7Enano2003/料金:1500円(+1drink)

kato takao** 05/8/2005 金曜日 12:47 | Link | TB (0) | コメント(0)
3

 中学二年生の頃、野球部では、自分の好きな人を発表するという儀式が流行っており、みんながべらべらしゃべっていた。
 僕は小学校の頃から好きな女の子がいたのだけど、それは僕にとって人生最大の秘密で、それより大切な秘密は一つもなかった。小学校の5年生まで時々寝小便をしていたことよりも、「僕が好きな女の子」のことのほうが重大な秘密だった。もちろん誰にも言ったことがなかったし、そんなことはとんでもないことだった。
 その女の子は三原さんといい、水泳部で、とにかく頭が良かった。絵も上手でピアノも上手かった。あと、字も上手かったな。典型的に優等生で、だれからも慕われ、尊敬されていたけど、どう贔屓目に見てももてるタイプではなかった。なぜ僕が三原さんをあんなに熱烈に長い期間好きだったのかはもうわからない。しかし、僕は6年間ほど彼女を好きなままで過ごした。

 僕はその事を誰かに伝えるつもりはなかった。
 しかし、野球部の追求は、もう抜き差しならないところまできていたのである。
 野球部のその儀式は、伝染病のように広まっていき、一人、また一人と告白させられていった。そのことを発表しないと、野球部の中ではずいぶんと待遇が悪くなっていった。しかし、発表した人間もその事でからかわれたりもしていた。
 江戸時代の隠れキリシタンが、踏み絵を踏まされたときのように、踏んでも信仰を汚され、踏まなくても追及を受けるようなそんな切迫した状況だった。
 あるものは別になんてことないよという表情で二人の女性の名前を挙げ、「まあ、付き合ってくれっていわれたら、どっちとつきあってもいいな」とか言っていた。ある者は、しばらく粘った結果さまざまな懐柔工作を受けついに口を割ったりしていた。

 部内では後僕を含めていっていないのが2人くらいになっていたが、僕はまだ言わなかった。諸説が乱れ飛び、さまざまな憶測が流れたが、どれも見当はずれで、どうってことなかった。僕は上手に自分を隠し、だれも僕を理解なんて出来なかった。

 それが起こったのは蒲田先生が出張でいなくて、生徒だけでいつもよりだらだらと練習をしていたときであった。確か、40mダッシュを6本ほど終えたところだったと思う。
 誰かが「加藤が好きなのは三原さんだろう!」と突然いった。
 僕はそこからの記憶が10秒ほどない。
 アタマが真っ白になって、手足がしびれて、血がみるみる顔に上るのがわかった。
 しばらくしてから必死で「違うよ!」と言ったけど、声は震えていて、「そうだよ」といったも同じだった。
 みんなはものすごい歓声を上げ、「加藤が好きなのは三原だ!」と叫びまわった。
 僕は絶望的な気持ちになり、人生を自らの手で終わらせる事を前向きに考えはじめた。

kato takao** 05/8/2005 金曜日 06:12 | Link | TB (0) | コメント(2)
2005年08月04日
2

 中学生になってからも野球は続けた。
 野球部の顧問は蒲田という男で、なぜかいつも首を少し左にかしげていた。まっすぐに世界を見るのが辛かったのかもしれない。もしくは、そうすることによって、世界の真実を見ることが出来たのかもしれない。
 しかし、もし、彼が世界の真実を見ていたとしても、その真実は僕らの信じるものとはずいぶん違うようだった。
 彼は短気で、野球を知らず、スポーツにおいて必要なものは根性だと信じている不思議な男だった。
 あるときノックで彼は飛んでもないところにボールを打った。
 「先生、あれは取れません」と選手が言うと、
 「気合で引き寄せろ!」と鎌田先生はいった。
 僕らは笑ったけど、彼は笑っていなかった。
 後に聞いた話によると、彼は学生時代にバレーボールをやっており、野球はまったくやっていなかったそうだ。僕らの中学にはバレー部がなかったので、しかたなく野球部の顧問になったのだという。
 彼は、京都の市立中学校教員のバレーボール大会に出場し、獅子奮迅の活躍をしたそうだ。セットを取るための15ポイントのうち14ポイントは彼のアタックだったらしい。

 しかし、僕らが蒲田先生のことを大嫌いだったかといわれたらそうでもなかったかもしれない。
 大好きではなかったけれど、やはりどこかでは信用していた。
 ノックは下手ではなかったけど、いっていることはきちんとしていたし、しかることとしからないことのラインがはっきりしていたので、僕らはいつしかられるだろうかとドキドキする必要はなかった。
 彼が烈火のごとく怒ったのは、可動式のバックネットをふざけて動かして倒したときと、バットでバスケットボールを叩いてへこました時だ。
 そういう時は僕らは、ものすごいびんたを何発も食らった。やや首を傾けて、怒りに打ち震えたような目で、異常に赤い顔をして僕らを殴り続けた。
 野球の試合でどんなミスをしても殴られた事はないと思う。そういう意味では、小学校の時の監督コーチは野球人だった。蒲田先生は教育者だったと言えるかもしれない。今から思えば。

 僕らはまあ弱いチームで、僕もまたたいした選手ではなかった。
 授業が終わると、今日の練習が中止になることを祈った。ほぼ99%練習は中止にならなかった。鎌田先生がどこかへ出張に行っているときも自主錬をさせられたし、雨が降っても、光化学スモッグ注意報が出ても校舎の廊下で筋力トレーニングをさせられた。

 いったい何故僕が、野球部をやめなかったのかは、今となっては一つの謎だ。
 なぜ、あんなに嫌な事を一生懸命やっていたのか。必死で我慢して、先輩のいじめや、トレーニングに耐えた。その結果どうなるわけでもない。試合に勝てるわけでも、野球がどんどん上手くなっていくわけでもなかった。
 思えば、小学校の頃はやればやるほどうまくなっていく気がしていた。チームもどんどん強くなったし、「試合に勝つ」という目的があり、それが楽しかった。
 しかし、中学になってからの野球はそうではなく、まるで目的のない自己鍛錬の場だった。僕らはどんな大会に出ても一回戦を勝つことはまれで、二回戦を勝った事はおそらく二回ほどしかなかった。
 僕は一年生の時は完全に補欠だったが、確か一人くらいは代打などで使われていた。二年生になったときは同級生の中で3人くらいレギュラーになったが僕は補欠だった。時々代走で出て走らされるだけだった。
 ちなみに、僕の野球人生で一番恥ずかしい事件はこのころに起きる。
 代走で出て、けん制でさされたのだ。
 三年生になって、やっと僕はレギュラーになる。

 僕は確か7番あたりを打っていて、ライトを守っていた。まあ、期待されていないポジションと打順だけど、一応僕の名誉のために言っておくと、中学野球におけるライトは7番目の内野手であり、「ライトゴロ」というものが存在するのだ。つまり、一ニ塁間を抜けるヒットを打たれても、ライトがすばやく処理してファーストに投げるとアウトになるのである。ライトゴロは中学野球においてそんなに珍しいプレーではない。一応そのことは知っておいてくれたまえ。

 正直に言うと、このころの試合の事はあまり覚えていない。
 僕はめったにヒットを打たなかったし、前述のとおりホームランは一度も打たなかった。かといって別に守備が上手かったわけでもなく、それなりに足が速かったので、塁に出たら盗塁をした程度だった。
 まあ、とにかく良く負けたし、僕もチームの足をひっぱった。
 もちろん。この頃には、僕はプロ野球選手になろうなんていう夢をすっかりあきらめていた。
 僕があきらめた最初の夢だ。

 鎌田先生はその時7、8、9番を打っていた僕らを集めて、
「松原中学校の7、8、9番打者はやまびこ打線と名づける。がんばれ」とかいった。
「やまびこ打線」とは、当時、「野球も人生、人生も野球」という名言で知られた蔦文也監督率いる徳島の池田高校のあまりにも途切れない打線を称してつけられた言葉で、弱小中学野球チームの下位打線のみに名づけられるにはもっとも遠い名前だったが、まあ、僕らは「はいっ!!」とかいってその気になった。
 試合中にも僕は打席に入る前に8番バッターに声をかけ「やまびこ打線の一番目が言ってくるぞ」とかいっていた。
 さすがにこれを書きながらちょっと恥ずかしくなってきたな。
 おそらく、やまびこ打線の打率は一割ちょっとだったと思う。めったに塁に出ないのがやまびこ打線の特徴だった。いくら、軟式野球は打率が低いとはいえ、それにしてもヒットが出ることなんてめったになかったように思う。
 
 ああ、僕はそんな感じで、第7の内野であるライトと、やまびこ打線の先方である7番を勤め上げたのである。一年間も。
 誇らしくも、なんともないが。 

kato takao** 04/8/2005 木曜日 05:22 | Link | TB (0) | コメント(1)
DM

 8/3の夕方頃にDMをいっせいに発送致しました。
 欲しいのに来なかった方、もう要らない方、その他もろもろ文句があったらご連絡ください。

 info@robopitcher.com

 まで。

 「歌って踊れる編集会議!」に来て欲しいなあ。


「歌って踊れる編集会議!vol.1」
日時:2005年8月5日(金) open 18:00 / start19:00
場所:ライブハウス 京都二条NANO & s.sense
料金:1500円(+1drink)
参加の場合はinfo@scrapmagazine.comまで連絡ください。

kato takao** 04/8/2005 木曜日 03:59 | Link | TB (0) | コメント(0)
2005年08月03日
1

 さよならエラーをしたことがある。

 中学三年生の夏。
 中学生最後の試合だった。

 弱いチームだったけど、毎日練習していたし、日曜日は練習試合もあったから、多分、一年間に310日くらいは練習してたと思う。
 野球が好きだったのか、といわれたらどうだったのかもうわからない。
 プロ野球は毎日必死で見ていたけど、自分がやるということが楽しいと思ったことはなかった。義務ってほどじゃないけど、なんとなくみんながやってるからやってる感じ。
 小学校三年生から野球を始めて、サディスティックに怒鳴り散らす監督とか、異常な暑さの中水も飲めずに練習した思い出とか、グローブの皮の匂いとか、ユニフォームのアンダーシャツが肌に当たる感触とか、そういうのが積み重なって、生活の一部みたいになってて、毎日野球をする事を不思議だと思わなかった。

 思えば、小学校のときもほぼ毎日練習していた。
 普通の小学生は、毎週日曜日に練習するだけだけど、光徳小学校の野球クラブは、小学校の授業が終わった後、夜7時から近所の公園でトスバッティングを延々続けた。それは夜錬(よるれん)といわれ、時には機嫌の悪いコーチの鉄拳が飛んだ。
 でも、小学生が夜に出歩いて、公園で必死でバットを振るってわるくない。僕らは怖いコーチにおびえながら、夜に出歩くという自由をわくわくと受け入れてもいた。
 公園の中はぶんぶんとバットを振る音が響いていて、コーチが一人一人にボールを投げ、僕らはもくもくとそれをゲージに向かって打ち続けた。
 公園の照明を頼りに。時々やってくるカップルを尻目に。

 僕は生涯で一回だけホームランを打ったことがある。
 外角低めのボールを、球に逆らわずにコンと当てたら、右中間を抜けてそれがランニングホームランになった。
 僕は必死で走った。ホームラン。ホームラン。
 ダイアモンドを一周して戻ってきたら、僕の息はありえないくらい乱れていた。倒れそうだった。
 チームメイトがベンチから出てきて、僕の頭をみんなで叩いて祝福してくれた。やあ、なんだか、主役になった気分だよ。
 次の日夜錬で、コーチに呼び出された。
 「昨日のホームランすごかったな」
 「はい」
 「ご両親は見に来てくれてたのか」
 「はい。見に来てくれてました」
 「なんかいわれたか」
 「まぐれだっていわれました」
 「ははは。まぐれじゃないさ。すごいあたりだった。お前にしか打てないコースだった。最高だったよ」
 「へへへ」
 「またすぐ次のホームランを打つよ。お前はきっと」
 「ありがとうございます」帽子を取って僕は頭を下げた。

 結論から言うと、僕はその後4年間野球を続けたが、一本もホームランを打つことはなかった。僕はさまざまな才能を持ってはいたけど、スラッガーの才能は持ち合わせていなかったようだ。

 小学校最後の試合は確か、区の大会だった。九条通りの近くのグラウンドで試合をした。優勝候補筆頭の小学校と試合をして、結構惜しいところまでいったけど、結局負けた。
 僕は、確か、泣いた。
 でも、それは、そのちょっと前に試合に負けたときに笑っていたら、コーチに「試合に負けて笑っているなんて、真剣にやっていない証拠だ!」といわれたから泣いたのもあると思う。

 また、中学で野球をやればいい、と思っていた。
 その後は高校で、大学で、そしてプロで。
 永遠に僕の野球は続き、いつかもっと上手くなって、すごい球が投げられるようになると思っていた。時間は永遠みたいで、急ぐ必要はなかった。いつかうまくなればいい。今から10年以内に上手くなれば、プロ野球選手にだってなれるかも。

 僕はその3年後野球をやめる決意をする。
 さよならエラーをした半年後の事だ。

 

kato takao** 03/8/2005 水曜日 03:32 | Link | TB (0) | コメント(1)

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